【認知的不協和理論】『ネトウヨ』と『リベラル』を分けるもの[Ⅰ]ー「ピラミッド思考」と「フラット思考」の行動の違い
①【認知的不協和理論】とは何か?
【認知的不協和】とは、人が自身の認知(理解・知識・信念・価値観・行動・環境など)とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感やストレスを表す“社会心理学用語”。
アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。

それによると、人は認知的不協和(矛盾)が拡大し不快感や苦痛やストレスが高まると、それを解消しようとする心理的圧力がかかり、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の考えや態度や行動を変更しようとする。
その考え方を【認知的不協和理論】という。

【認知的不協和理論】
人は認知的不協和が生じると、それを解消しようと何らかの行動を起こす。
②【認知的不協和】を解消しようとする行動
フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)
1;人は不協和があるとき、その不協和を低減させるために何らかの行動を起こす。
複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。
具体的には“古い認知”か“新しい認知”のいずれかを否定する傾向にあり、
①“新しい認知”を取り入れ、“古い認知”を変える。
②“古い認知”に拘り、“新しい認知”を否定する。
そのどちらかのことが多い。
その場合、比較的「変えやすい」方の認知を変えることで、「絶対に変えられない」認知を正当化しようとする。
そして、
③その自分の選択を正当化するために、都合のいい情報ばかりを集めたり、解釈を変更することで都合の悪い情報を否認し、矮小化することで不協和を解消しようとする。(合理化)

①②矛盾する複数の認知の一方を変更することによって、
不協和を解消しようとする
③その場合、絶対に変更できない認知を正当化するために、
他の認知を変更しようとする傾向が強い
2;不協和を低減させる圧力の強弱は不協和の大きさの関数である。
不協和の度合いが大きいほど、それに比例して低減させようとする圧力は大きくなる。
つまり
・『自分の価値観』と『周りの価値観』との不協和が大きいほど
・『自分の感情』と『周りの感情』との不協和が大きいほど
・『自分の行動』と『他者の行動』との不協和が大きいほど
・『理想の自分』と『現実の自分』との不協和が大きいほど
⋯
心の中の“不安・恐怖・不快感・苦痛・怒り・ストレス⋯”が大きくなり、それを低減しようとする心理的圧力が高まり、冷静になって客観的・論理的な思考ができなくなり、短絡的・衝動的行動をとりやすくなる。
すぐキレたり、嘘をついたり、暴力を振るったり、クレーマーやストーカーになったり、他者を誹謗中傷したり、酒・薬物に手を出したり、また簡単に詐欺やマルチ商法に騙され、陰謀論やカルト宗教に嵌りやすくなったりする。
そうすることで人は無意識の内に認知的不協和を解消しようとしているのである。
自分の行動・慣習 → 認知的不協和 ← 他者の行動・慣習
規則ルールを守る 規則ルールを破る
⬇
怒り・不快感・不安・恐怖・ストレス(認知的不協和が大きいほど、拘りや思い込みが強いほど、他者の行動や信念や慣習を尊重できなく、攻撃的になる)→自分の行動の正当化

「怒り」=「自分の行動を正当化しようとする行動」
③【認知的不協和】の例
ⅰ.タバコの例
認知1;自分はタバコを吸う。(古い認知・行動)
認知2;タバコを吸うと肺ガンになりやすい。(新しい認知・知見)
このとき認知的不協和が生じる。そこで認知的不協和を解消するためには行動(認知1)を変更して、
認知3;禁煙する。(行動の変更)
これで不協和が解消できる。
しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。
そこで⋯
認知1;自分はタバコを吸う。
認知2;タバコの煙を吸うと肺ガンになりやすい。←否認・矮小化・見えなくする。
認知4; 喫煙者で長寿の人もいる。(認知の追加)
認知5;交通事故で死亡する確率の方が高い。(認知の追加)
「タバコを吸い続ける」という行動(依存症)を正当化するために、認知4・認知5を付け加えることで、認知2を否認・矮小化しようとする。

ⅱ.『酸っぱい葡萄』の例
イソップ童話の『酸っぱい葡萄』という話で、お腹を空かせた狐が高い木になっている葡萄を食べたいのに、届かずに取ることができない⋯
認知1;葡萄が食べたい。(欲望・理想)
認知2;葡萄に届かない。(失敗・現実)

このとき認知的不協和が生じる。
そこで、この不協和を解消するために、狐は『新しい認知』を追加する。
認知3;あの葡萄は酸っぱくておいしくない。(認知の変更)
そう決め付ける(認知を変更する・妄想する)ことで、認知2の葡萄を取れなかったという“動かすことが出来ない事実(失敗)”を正当化し、不協和を解消しようとする。


ⅲ.地震の後に『デマ、噂、流言』が拡散する原因
人は自分の中の不協和が大きいほど、その不協和を解消しようとする心理的圧力が強まり、冷静になって客観的・論理的な思考することができなくなり、感情的・短絡的・衝動的になる。
そうすると『デマ・噂・流言』を信じやすくなる。それはデマを信じることで、認知的不協和を解消しようとするのである。それが地震の後の『デマ・噂・流言』が広まる原因となる。
自分の中の“不安・恐怖”を正当化するために“デマ・噂・流言”を信じ、それを吹聴・拡散することで、『自分の感情』と『周囲の感情』の不協和を解消しようとする。

地震の後の混乱の中で、
認知1;「不安・恐怖・ストレス」の増大。(自分の感情)
認知2;周囲の人々の落ち着き、平穏。(周囲の感情)
その認知的不協和を低減するために、デマを信じ、周囲に不安・恐怖を煽る。
認知3;また大地震が来る。犯罪者がやって来る。外国人が攻めてくる。あれは人工地震だ!(周囲に不安・恐怖を煽る。自分の感情の正当化)
つまり、自分の心の中の不安・恐怖が大きいほど『デマ・噂・流言・陰謀論』を信じ込み、それを拡散し、周囲に不安・恐怖を煽ることで『自分の感情』を正当化しようとするのである。

そこではしばしば感情(不安・恐怖)が暴走し、理性や冷静さが失われ、短絡的・衝動的になり、デマを信じ込み、妄想と現実の区別がつかなくなり、他者を虐殺する。→朝鮮人虐殺
ⅳ.洗脳
①カルト宗教
人は心の中の「不安・恐怖」が大きいほど客観的視点が失われ、『デマ・陰謀論・カルト宗教』に騙されやすくなる。しかし、いずれ認知的不協和(矛盾)が生じる。
認知1;教祖の予言「✕月○日、地球が滅びる。信者だけが救われる」
認知2;教祖を信じ、家・財産を売って、高額な献金をする。
認知3;しかし、予言が外れ、何も起こらなかった。
このとき、もし認知2の献金が少額であれば「騙された」と信者を辞めれば良い。しかし全財産を処分し、行く所がない場合、不協和を解消する手段として“新しい認知4”を追加する。
認知4;教祖の力によって危機を避けることができた。教祖は正しい。神の生まれ変わりである。教義を広めることが人のため、国のためになる。(認知の追加)
つまり、どこにも行く所がなく、教団に残るという行動を正当化するために新しい認知を追加する。
②ブラック企業
そして、同じようなことが『ブラック企業』についても言える。
認知1;きつい、長時間、パワハラ、サービス残業。
認知2;低賃金。
認知3;生活の為に金が必要。経営者に借金がある。他に行く所がない。
このとき認知的不協和が生じる。このとき、例えば賃金が高ければ、不協和は低く我慢ができるのだが、それは到底無理そう⋯。そうすると不協和を解消するために“新しい認知4”を追加する。
認知4;この仕事は人のためになる。将来に役に立つ。やり甲斐がある。(認知の追加、やりがい詐欺、洗脳)
そうして自分の「仕事を続ける。服従する。隷属する」という行動を正当化する。
つまり共通して、カルト宗教もブラック企業も、物理的にも精神的にも《逃げられない状態》の中で、教祖・経営者に《服従・隷属する》ことを選択するようにコントロール(洗脳)されている。
③体罰・虐待・DV
それは『体罰・虐待・DV』でも同じで、親(配偶者・教師・権力者)に『逃げられない状態』の中で、
認知1;親に甘えたい。認められたい。(願望)
認知2;親に怒られる。叩かれる。(現実)
認知3;逃げたいけれど、一人では生きていけない。(現実)
このとき認知的不協和が生じる。
そこで、この不協和を解消するために新しい認知を追加する。
認知4;自分が悪いから殴られているんだ。親は自分を愛しているんだ。(変更)
認知5;体罰のおかけで今の自分がある。(自己正当化)
認知6;子どもは体罰によって思いやる心が生まれる。(認知の歪み)
認知7;自分は相手のためを思ってやっている。(認知の歪み)
認知8;批判者は日本人ではない。日本を壊そうとしている。(合理化・認知の歪み)


それはもはや『依存症』。
自分の行動(体罰・虐待・パワハラ・セクハラ)を正当化するために都合の良い情報ばかり集め、認知を歪め、認知的不協和を解消し、「快感・安心感・優越感・全能感」を得ようとしているのである。
④【認知的不協和理論】「保守派」と「リベラル派」の行動の違い
人は自分の行動を正当化したい生き物。自分の行動を正当化するために他の認知を変更する。

例えば、カルト宗教やブラック企業で、《逃げられない・他に選択肢がない状態》の中で教祖・経営者に服従している内に「教祖・経営者は素晴らしい人間。神の生まれ変わり。救世主」と信じ込むと同時に、批判者に対して「自分達を陥れようとしている。悪魔に操られている」というような被害妄想・猜疑心・憎悪が湧いてくる。
そこでは「自分の行動(服従)を正当化したい」という認知バイアスが働いている。そして、実は、それが「保守派」と「リベラル派」の対立へと繋がってくる。
『学校教育』における「保守派」と「リベラル派」
例えば、往々にして小さい時から良い大学に入るために必死に頑張ってきたエリートは、受験競争や学歴社会を正当化しようとする。また同じように、オリンピックや甲子園などを目指して必死に取り組んできた人ほど、体罰やシゴキを正当化しようとする。
(例えば、「それがあったから今の自分がいる。困難に負けずに生きて行けている」というように)
それは、『ピラミッド型管理競争社会』の逃げられない環境の中で「競争に勝ちたい。他者の上に立ちたい。権力者に認めてもらいたい」と必死に競争している内に、いつの間にかその自分の行動を正当化しようとする心理的圧力が働き、そのピラミッド型権力支配構造を守ろうとするのである。

そこでは「権力者(指導者、経営者)は優れた人間。尊敬できる人間」と思い込む同時に、その自分の行動(競争・忠誠・服従)に異議を呈し、そのピラミッド型構造を改革し、破壊しようとする人に対して激しく攻撃する。
例えば、「1番でなくても良い。失敗しても良い。レールから外れても良い。個性が大事。差別・格差は良くない」という主張に対して、まるで自分の行動が否定されたかのように感じ、激しく反発する。
それと同じように学校教育の『校則、競争、管理、強制、体罰、差別、家父長制、経済成長、軍国主義⋯』の中で育ってきた人が、そのピラミッド型構造を肯定し、その制度を守ろうとすると同時に、それに疑問を呈し、その制度を変えていこうとする、「ゆとり、個性、自主性、男女平等、夫婦別姓、ジェンダーフリー、性教育、体罰禁止、環境保護、反原発、平和主義など」を主張する人達に対して激しく攻撃・誹謗中傷する。
そこでは反対者に対して「日本を貶めようとしている。外国に操られている。日本人ではない。⋯」など、自分の行動を正当化するために認知を変更する。(合理化)
それは、それらを認めることは今までの自分の行動を否定することになるから。
しかし今までの自分の行動・生き方のままでは、いずれ立ち行かなくなる。
1つの価値観・行動に拘り、「自分の行動は間違っていない。この道しかない」と走り続け、反対者を次々と排除しているうちに、いつの間にか周りが見えなくなり、『依存の悪循環(負のスパイラル)』に陥り、いずれ破綻してしまう。
それは例えば、金儲け競争(拝金主義)・経済成長第一主義・売上至上主義で大量生産大量廃棄・都市開発・軍備拡張ばかり追い続けているうちに、環境破壊(公害、自然破壊、地球温暖化、人口減少、貧富の格差、財政赤字、資源食料の枯渇など)が加速し、人間が住めなくなったら意味がない。
そこでは「自分は間違っていた。このままでは破綻する」と失敗や誤りを認め、新しい考えを取り入れて、自分の行動を変化させなければならない。それは個人でも組織でも国家でも同じ。
いつまでも「自分は間違わない。全部他者が悪い」「批判者は外国人に違いない。日本を貶めようとしている」「地球温暖化は嘘だ。全部中国の陰謀」などと言っていたら、その個人・国家・組織・政党・企業はいずれ腐敗し、破滅する。
そこで認知的不協和が発生する。
今迄の行動(競争主義)→【認知的不協和】←否定する行動(平等主義)
経済成長第一主義 持続可能社会
⬇(拡大)
行動を変えない・排除① ⬅《選択肢》➡ ②行動を変える・反省
「自分は間違っていない」 「自分は間違っていた」
ピラミッド型社会 フラット型社会
そこで、①「自分は間違っていない」と今までのやり方に拘る人と、②「自分は間違っていた」と反省し、行動を変えていこうとする人に分かれる。
今までの①『ピラミッド型権力支配構造(既得権益)』を守り、経済成長第一主義を掲げる保守派と、反対意見を取り入れ②『ピラミッド型権力支配構造』を変革し、脱成長主義社会(持続可能社会、フラット型社会)を目指そうとするリベラル派に分かれていく。


そして、その『保守派』と『リベラル派』に分かれる個人差は、どこから生まれるのか?
例えば、関東大震災の後の混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした。井戸に毒を入れている」などというデマを信じ込み亀戸警察署のように進んで朝鮮人らを捕まえて虐殺して回るのか?⋯それとも鶴見警察署長のようにデマを信じず身を呈して匿い守るのか?
また杉原千畝のように押し寄せるユダヤ難民の人達に対してピザを発給するのか?⋯それとも国家の命令を盾に難民達を追い返すのか?(あるいは、その人を「正義の人、英雄」と讃えるのか?⋯それとも、「国家を貶めようとする国賊。売国奴」と罵るのか?)
水俣病が発生したときのように、企業側に立って「企業には責任はない。排水が原因ではない」と主張するのか?患者側に立って企業の責任を追及するのか?⋯そこには個人差が生まれる。
つまり自分が行動するにおいて、「何を最も重視するのか?⋯最も“動かせない信念”は何か?」ということ。国の命令(規則ルール)を絶対に守るのか?⋯それとも、それよりも重要なものがあると考えるのか?⋯強者側に立って権力者を守ろうとするのか?それとも弱者側に立って、権力者の責任を追及するのか?
例えば、五輪万博について「素晴らしい。感動した」と思うのか、「くだらない。時代遅れの遺物」と思うのか?また、戦争について、「他国に悪いことをした。迷惑をかけた。反省すべき」と考えるのか、「日本は悪くない。外国が悪い。反省する必要はない」と考えるのか?
同じように、特攻を「犬死に」と考えるのか?⋯それとも、「国のために戦った英雄」と考えるのか?
そこには自分の行動(信念)を正当化しようとする心理的圧力が働いている。→自分の行動を正当化するために認知を変更する。
そして、その自分の行動を支配する“動かせない信念”はどこから生まれてくるのか?
さまざまなデマや陰謀論やカルト宗教やプロパガンダに簡単に騙される人と、騙されない人の違いはどこにあるのか?⋯常に強者側に立って弱者を攻撃しようとする人と、常に弱者側に立って、権力の責任を追及する人の違いはどこから生まれてくるのか?